2020年12月19日土曜日

なぜ「全ての政府は嘘をつく」のか、そしてなぜ人は嘘をつくのか

 昔から割とドキュメンタリー映画が好きなのだが、(ドキュメンタリーとジブリしか好きじゃないともいえる)、最近気になっていたタイトルの映画。

「全ての政府は嘘をつく」

まあ、内容は大体想像がつくし、こういうのが好きなタイプの人間が食いつきそうなタイトルだなー、よく考えられているね、と穿った見方もしたりして。

華氏9.11とか、六ヶ所村ラプソディーとかそういうの見てた辺りから、政府なんて信用ならん存在だ、というのは嫌という程感じてきましたのでね。

まあ、極めつけは沖縄の米軍基地の存在ですわ。ほんまに驚きますわな、米軍の建前と本音の違いには。それを支えているアメリカ政府と日本政府にもね。あと日本の入管施設も本当に酷いです。こういうのを見るにつけ、政府って碌なものじゃないなと思ってしまいます。

で、ここに来て思う事なのだけれども、政府ってのは往々にして色々と隠したがるものなんですけど、それって、なんでなんだろうなあ?とふと疑問に思いました。

で、このお題目が思い浮かんだとき、なんか色々面白く思考できそうだなあ、なんて思っていたのでいつかこのタイトルで文章書いてみたいと思って。で、それでまた半年位経ったと。

ところで、このなぜ全ての政府は嘘をつくのか、って事は、別にふかーい考察なんてなくっても、ごくシンプルに答えが出るんですよね。

「なぜ全ての政府は”嘘をつかなければ”ならないのか?」と考えると単純な事なんですよ。

それはつまり、政府を動かすのも、その国に存在している存在も、人間だから、なんですね。

そもそも、人間という存在は嘘をつく生き物なんですわ。不都合な事には目をつぶって生きて生きたいし、自分達の信じたいように信じたい生き物なんですわ。そして人と比べてはマウントを取り保身に走る。

だから、政府も「同じように嘘をつく」。

逆に、ある程度の嘘をつかないと国内もだし、諸外国との付き合いも中々成立しない現実という所か。まあ、ある意味当たり前の論理ですよね。

で、この思考はおしまい。ってなっちゃうとつまらないので、もう少し考えてみる。

では、なぜ人は嘘をつくんでしょう。不都合な事には目をつぶって生きて生きたいのでしょう。そもそも、自分にとって不都合な事とは一体なんでしょうか。

中国とかロシアなんかはアメリカ以上に酷い情報鎖国だし、人権弾圧もろにやってる国な訳ですけど、そもそもそういう国の政府ってのはどうしてわざわざそういう事するんでしょうね?

鍵になるのは、やはり「人を信用しているかしていないか」って所ですかね。

信用していないと罰則や規制で徹底的にコントロールして痛めつける。情報を公開してオープンにする動きと逆の事をやろうとする。まあ、ルールがないと無秩序状態になるのもその通りなんで、ある程度のルールは必要な訳だけど。ルールありき、聖書で言う律法ありきになるとガチガチして息苦しくて窒息しちゃいますわな。激混み電車で動けないアレと一緒、あの電車に乗ってて、よく発狂しないよね。。だから、日本は息苦しい国だ、ってよく言われる訳ですけれども。日本も本質的にロシアや中国と似たようなものだって理解できている人、少ないですね。

で、話を戻すと、誰を信用していないか?って所の度合いの問題かもしれないけど、アメリカも結構今は監視社会だし信用してない度合いが増しているけど、それでも時間経ったら機密文書公開してくれるしね、多少ですけど。

まあ、中国とかロシアってのは基本的には人を全体的に信用していない国なんだろうなと。

あと、国の単位が大きすぎると、自由にやらせすぎると収拾つかないから。

かなと思っている。だから、昔から個人的に思うのは、大きな国は駄目になる、世界全体が小国であるべき、ってのが私の持論です。人が多すぎるとまとまるものもまとまらんし、零れ落ちる人が増えるし、強力なパワーコントロールが働かないと国がまとまらないジレンマに陥る。中国やロシア、見てれば分かるよね。

かといって、小さければいいかというと北朝鮮みたいなトリッキーな国もあり。

でもあれがトリッキーなのは、周りが敵に囲まれている、という思想があるからああなるんですよね。だから、アメリカとか余計な国がいなくなり外圧恐怖と自分達の生存が確保されるなら、あそこまでにならなかった気がしますね。

あと、まあ、自国が上手くいっていない不祥事を外へ不満を向けさせる事でのガス抜きというよくある手法。はあ、人間ってーのはまじでつまらん生き物だわな。。。

しかし、政府が嘘をつかない、世界ってのは構築できないものですかねー?

デンマーク辺りなんかは、傍から見れば程度なんかも分からないけど、割とその辺り上手くやっているなーと思ってて、あーいう国に住みたいなーって思う。デンマーク行ってみて思ったほどじゃなかったけど、でもあの国・・・まじで美しいなーって思った。日本の自然とか構成と全然違う。一度でいいから北欧に暮らしたいなあ…でもま、今回のコロナ対応で、スウェーデンに関しては、イメージダダ下がりしたなー。残念だわね。フィンランドかデンマークかなー。

それにしても、日本にはつくづく愛想が尽きてきたな。

部分的に見ればいい人ばかりだよ。でもね、無意識に変な思想とか考え植えつけられている人が多すぎて嫌になるよ。あと、日本人は感じ取りすぎる、空気を読みすぎるんだよ。程ほどに鈍い方がいい時も割とあるよ。。電車でぼーっとさせてほしい。仕事で集中させて欲しい。ただそれだけ。

あとさ、政治家の不正に対して、批判からは何も生まれないっていうわけの分からない思想ももういい加減やめたら?単なる批判じゃないよ、悪い事したら責任取らせないと法治国家じゃないよ。因果応報っていうのをきちんと法律に沿って実行しないと、感情で擁護してどうするの?

ではでは、またっ☆



2020年12月14日月曜日

私の不器用さについて

自らの性格や特徴を説明する時に「 不器用」という表現があるけれども、それだと何だかしっくり来ない。人を不快にさせる、イラつかせるのが得意な人って言った方がいいかもしれない。

(ってかこの説明だと、ひろゆき氏みたいだな。。笑。まあ彼はイラつかせ度が突き抜けてるし、あれでキャラが成立してるからいいんだけど)

本当に自分って人間が嫌になるときがしばしばある。

自分の言動が人を不快にさせている、と感じる時。緊張感を与えているとき。

最初は戸惑い、次に私がどんな悪い事をしたというのか、という怒りを感じ、そして最終的にはここにいるべきじゃないのかもしれないと思い、そして仕事も人と関わる全ての事も、辞めたくなる。本気で。

こんな事を言っても、他の人に中々信じてもらえないのだけれど。

電車に乗っている時も、道を歩いている時も、近くに人が来る事や人と目を合わせるのが怖い。人が近くに来ると反射的に緊張してしまう。

対人恐怖症というよりも、どう反応していいか分からないからだ。

昔、マラソン大会に出る為にジョギングをしている時期があったのだが、人とすれ違うのがとても嫌だった。普段から、道を歩いていて人とすれ違う時に緊張するのだ。

それは、何故かは分からないけれども、人を不快にさせる何かが私にはあるらしく、近くにいると、突然舌打ちされたり、嗤われたり、咳払いされたりするからだ。

クラスでもいつも浮いている存在だったし、しゃべらないと気味悪がられたし。そもそも多人数の人がいる空間で、誰にどう話しかけていいのか、どう振舞っていいのか、分からなかった。

今でもそうだ。

だから仕事場でもよく怒られた。今はおかげ様でそういう事は減ったけど。

こういう人って他にいるのだろうか。

1人でカフェに入ってくつろぎたくても、周りに人がいるとその人に不快感や緊張を与えているのが分かる。電車でもそう。そしてその人達は大抵苛立ちを露にしたりため息をついたり、席を移動したりする。

そしてその度に私は疲れてしまう。

だから、基本的に人のいる場所に行きたくないのだ。

カフェだけじゃない。普通に道を散歩する事も、どこかの集まりに参加する事も。人と一緒にいる、という環境で上手くいくことが滅多にない。

そういう事が出来る環境にいるのに、むしろやりたいのにも関わらず、人と仲良くしたいし上手くやりたいのに出来ない辛さを、誰がわかってくれるのだろうか。

結局、グレーゾーンだと言われながら、発達障がいとはちょっと違うジャンルだとか言われながら、発達障がいの特性があるからなのか。

普通の人と同じように見られるから尚更辛い。

普通じゃない事も辛いのだけど。

そして一番怖いのは人の信用を失う事・・・最初はすごく気に入られても何かのきっかけで人を怒らせ、返答に行き詰まり、そういった諸々の事で人が離れていく。

誰かと何かをする事もろくに出来ないから、誰かと出会って関わる事も正直怖い。

だってその先に壊れることが見えているから。

一体全体、私はどう生きていけばいいのだろう。いつも考えている。

そしてその明確な答えは出ないまま、ダラダラと日常の延長を続けている。

だからいっその事、今の生活を全て辞めて、畑を耕して暮らしたい。シータちゃんみたいな暮らしがしたいと本気で思ってしまうのだ。そんなに都合よくはいかないのは知っていても・・・いつか海外移住したい。

その為には、一刻も早く基地問題に係る植民地主義を解決したい。

って結局そこかよって単純な自分がいる。

無視したい、忘れたい。でも忘れたくない。その狭間でいつも揺れている。


悪い時代だ、はコロナだけなのか?

うちの教会の年に一度の合同礼拝がリモートで行なわれた。

代表牧師の挨拶で、悪い時代だからです、のフレーズが使われた。

悪い時代とはどのような事か分からなかったが、コロナのことだったのか、と思ったと。

しかし、今の政治状況を見ていて、何も感じないとしたら、あまりにも鈍感ではないだろうか?

と感じてしまった。(まあアメリカ大統領選のようなことがあると迂闊に政治的な事は言えない気持ちも分からないでもないのだけれど・・・)

そもそもコロナの前からこの国は、この世界は悪い時代に入っていると言えないだろうか?

アメリカ、中国、ロシア、北朝鮮・・・そして日本・・・正直、この時代によくもこれだけ酷いリーダーが上についているものだと思わざるを得ない(アメリカは未だ混乱が続くもののようやく混乱に一応の終止符が打たれそうだが・・・それにしてもドナルド・トランプ氏があそこまでみっともない人物だとは思わなかった・・・。腐ってもクリスチャンを公言しているのだから尚更・・・毎日驚愕している・・・心の底から残念でならない・・・)

一体何をやっているんだろうな、人類、と。

その一方でこの危機において素晴らしいリーダーもいる。

ドイツのメルケル首相みたいな人。

そしてリーダーだけでなく、どんな立場にいても、正しく自分のやるべき事を理解して動いている大勢の市井の人達。

これこそが希望だと思う。そしてこのような危機には、正しく立ち向かえる代表者を選ぶ事は大事だと改めて感じている。

それにしても、コロナウィルスは人間の様々なものを炙り出してくれた。

結局の所、コロナウィルスが悪いというよりも、コロナによって人間の本質や今まで溜まっていた歪みが明確に可視化されただけのように思う。

先送りにしていた問題を今やれ、とつきつけられているような感じがする・・・

コロナウィルスの存在は、何を私達に迫っているのか。それを正しく見極め変化していく必要があるのだと感じる。逆に、正しく見極められなければ、より混沌とした世界になってしまうだろう。

危機に対してリーダー達がどのような言動を取るのか、という可視化もされた。

そして、自分がいかにちっぽけな人間かという事も。。。

他山の石としつつ、本当の希望を持って生きていける社会を作りたいと願う。