2021年6月13日日曜日

デンマークよ、お前もか。

 最近、EUの中でかなりの騒ぎになっているという、デンマークが、アメリカの情報機関にEU諸国の情報を長年に渡って横流ししていたって話。

正直、日本国内で酷い事多すぎて、色んな事に感覚が麻痺しているので、目にした時、感情が殆ど動かなかったというのが本音。

だけど、あー。。。デンマークよ、お前もかっていう感想でした。

で行き着く所は、神様がいないと、どこも腐るのかな、って事で。

しかしながら、神様がいた所で、軍隊や銃を堂々と保持している国も少なくなく、まあ、完璧はないんだなーって事ですけど。そもそもちゃんとした信仰がないと意味ない訳で。

結局の所、人間のやる事はつくづくも、下らない、としか思えないのでした。

命の選別、建前ではいえなくても、結局行われているものね。

勿論それはやりたくてやっている訳じゃなくて、そうせざるを得ない現場の苦しみも、わかってはいるつもりで。でもそれを簡単に仕方ないと切って捨てる人間の思考は私には理解できない。

それも神様の思し召しと思って割り切るしか、道はないのだろうけど。


2020年12月19日土曜日

なぜ「全ての政府は嘘をつく」のか、そしてなぜ人は嘘をつくのか

 昔から割とドキュメンタリー映画が好きなのだが、(ドキュメンタリーとジブリしか好きじゃないともいえる)、最近気になっていたタイトルの映画。

「全ての政府は嘘をつく」

まあ、内容は大体想像がつくし、こういうのが好きなタイプの人間が食いつきそうなタイトルだなー、よく考えられているね、と穿った見方もしたりして。

華氏9.11とか、六ヶ所村ラプソディーとかそういうの見てた辺りから、政府なんて信用ならん存在だ、というのは嫌という程感じてきましたのでね。

まあ、極めつけは沖縄の米軍基地の存在ですわ。ほんまに驚きますわな、米軍の建前と本音の違いには。それを支えているアメリカ政府と日本政府にもね。あと日本の入管施設も本当に酷いです。こういうのを見るにつけ、政府って碌なものじゃないなと思ってしまいます。

で、ここに来て思う事なのだけれども、政府ってのは往々にして色々と隠したがるものなんですけど、それって、なんでなんだろうなあ?とふと疑問に思いました。

で、このお題目が思い浮かんだとき、なんか色々面白く思考できそうだなあ、なんて思っていたのでいつかこのタイトルで文章書いてみたいと思って。で、それでまた半年位経ったと。

ところで、このなぜ全ての政府は嘘をつくのか、って事は、別にふかーい考察なんてなくっても、ごくシンプルに答えが出るんですよね。

「なぜ全ての政府は”嘘をつかなければ”ならないのか?」と考えると単純な事なんですよ。

それはつまり、政府を動かすのも、その国に存在している存在も、人間だから、なんですね。

そもそも、人間という存在は嘘をつく生き物なんですわ。不都合な事には目をつぶって生きて生きたいし、自分達の信じたいように信じたい生き物なんですわ。そして人と比べてはマウントを取り保身に走る。

だから、政府も「同じように嘘をつく」。

逆に、ある程度の嘘をつかないと国内もだし、諸外国との付き合いも中々成立しない現実という所か。まあ、ある意味当たり前の論理ですよね。

で、この思考はおしまい。ってなっちゃうとつまらないので、もう少し考えてみる。

では、なぜ人は嘘をつくんでしょう。不都合な事には目をつぶって生きて生きたいのでしょう。そもそも、自分にとって不都合な事とは一体なんでしょうか。

中国とかロシアなんかはアメリカ以上に酷い情報鎖国だし、人権弾圧もろにやってる国な訳ですけど、そもそもそういう国の政府ってのはどうしてわざわざそういう事するんでしょうね?

鍵になるのは、やはり「人を信用しているかしていないか」って所ですかね。

信用していないと罰則や規制で徹底的にコントロールして痛めつける。情報を公開してオープンにする動きと逆の事をやろうとする。まあ、ルールがないと無秩序状態になるのもその通りなんで、ある程度のルールは必要な訳だけど。ルールありき、聖書で言う律法ありきになるとガチガチして息苦しくて窒息しちゃいますわな。激混み電車で動けないアレと一緒、あの電車に乗ってて、よく発狂しないよね。。だから、日本は息苦しい国だ、ってよく言われる訳ですけれども。日本も本質的にロシアや中国と似たようなものだって理解できている人、少ないですね。

で、話を戻すと、誰を信用していないか?って所の度合いの問題かもしれないけど、アメリカも結構今は監視社会だし信用してない度合いが増しているけど、それでも時間経ったら機密文書公開してくれるしね、多少ですけど。

まあ、中国とかロシアってのは基本的には人を全体的に信用していない国なんだろうなと。

あと、国の単位が大きすぎると、自由にやらせすぎると収拾つかないから。

かなと思っている。だから、昔から個人的に思うのは、大きな国は駄目になる、世界全体が小国であるべき、ってのが私の持論です。人が多すぎるとまとまるものもまとまらんし、零れ落ちる人が増えるし、強力なパワーコントロールが働かないと国がまとまらないジレンマに陥る。中国やロシア、見てれば分かるよね。

かといって、小さければいいかというと北朝鮮みたいなトリッキーな国もあり。

でもあれがトリッキーなのは、周りが敵に囲まれている、という思想があるからああなるんですよね。だから、アメリカとか余計な国がいなくなり外圧恐怖と自分達の生存が確保されるなら、あそこまでにならなかった気がしますね。

あと、まあ、自国が上手くいっていない不祥事を外へ不満を向けさせる事でのガス抜きというよくある手法。はあ、人間ってーのはまじでつまらん生き物だわな。。。

しかし、政府が嘘をつかない、世界ってのは構築できないものですかねー?

デンマーク辺りなんかは、傍から見れば程度なんかも分からないけど、割とその辺り上手くやっているなーと思ってて、あーいう国に住みたいなーって思う。デンマーク行ってみて思ったほどじゃなかったけど、でもあの国・・・まじで美しいなーって思った。日本の自然とか構成と全然違う。一度でいいから北欧に暮らしたいなあ…でもま、今回のコロナ対応で、スウェーデンに関しては、イメージダダ下がりしたなー。残念だわね。フィンランドかデンマークかなー。

それにしても、日本にはつくづく愛想が尽きてきたな。

部分的に見ればいい人ばかりだよ。でもね、無意識に変な思想とか考え植えつけられている人が多すぎて嫌になるよ。あと、日本人は感じ取りすぎる、空気を読みすぎるんだよ。程ほどに鈍い方がいい時も割とあるよ。。電車でぼーっとさせてほしい。仕事で集中させて欲しい。ただそれだけ。

あとさ、政治家の不正に対して、批判からは何も生まれないっていうわけの分からない思想ももういい加減やめたら?単なる批判じゃないよ、悪い事したら責任取らせないと法治国家じゃないよ。因果応報っていうのをきちんと法律に沿って実行しないと、感情で擁護してどうするの?

ではでは、またっ☆



2020年12月14日月曜日

私の不器用さについて

自らの性格や特徴を説明する時に「 不器用」という表現があるけれども、それだと何だかしっくり来ない。人を不快にさせる、イラつかせるのが得意な人って言った方がいいかもしれない。

(ってかこの説明だと、ひろゆき氏みたいだな。。笑。まあ彼はイラつかせ度が突き抜けてるし、あれでキャラが成立してるからいいんだけど)

本当に自分って人間が嫌になるときがしばしばある。

自分の言動が人を不快にさせている、と感じる時。緊張感を与えているとき。

最初は戸惑い、次に私がどんな悪い事をしたというのか、という怒りを感じ、そして最終的にはここにいるべきじゃないのかもしれないと思い、そして仕事も人と関わる全ての事も、辞めたくなる。本気で。

こんな事を言っても、他の人に中々信じてもらえないのだけれど。

電車に乗っている時も、道を歩いている時も、近くに人が来る事や人と目を合わせるのが怖い。人が近くに来ると反射的に緊張してしまう。

対人恐怖症というよりも、どう反応していいか分からないからだ。

昔、マラソン大会に出る為にジョギングをしている時期があったのだが、人とすれ違うのがとても嫌だった。普段から、道を歩いていて人とすれ違う時に緊張するのだ。

それは、何故かは分からないけれども、人を不快にさせる何かが私にはあるらしく、近くにいると、突然舌打ちされたり、嗤われたり、咳払いされたりするからだ。

クラスでもいつも浮いている存在だったし、しゃべらないと気味悪がられたし。そもそも多人数の人がいる空間で、誰にどう話しかけていいのか、どう振舞っていいのか、分からなかった。

今でもそうだ。

だから仕事場でもよく怒られた。今はおかげ様でそういう事は減ったけど。

こういう人って他にいるのだろうか。

1人でカフェに入ってくつろぎたくても、周りに人がいるとその人に不快感や緊張を与えているのが分かる。電車でもそう。そしてその人達は大抵苛立ちを露にしたりため息をついたり、席を移動したりする。

そしてその度に私は疲れてしまう。

だから、基本的に人のいる場所に行きたくないのだ。

カフェだけじゃない。普通に道を散歩する事も、どこかの集まりに参加する事も。人と一緒にいる、という環境で上手くいくことが滅多にない。

そういう事が出来る環境にいるのに、むしろやりたいのにも関わらず、人と仲良くしたいし上手くやりたいのに出来ない辛さを、誰がわかってくれるのだろうか。

結局、グレーゾーンだと言われながら、発達障がいとはちょっと違うジャンルだとか言われながら、発達障がいの特性があるからなのか。

普通の人と同じように見られるから尚更辛い。

普通じゃない事も辛いのだけど。

そして一番怖いのは人の信用を失う事・・・最初はすごく気に入られても何かのきっかけで人を怒らせ、返答に行き詰まり、そういった諸々の事で人が離れていく。

誰かと何かをする事もろくに出来ないから、誰かと出会って関わる事も正直怖い。

だってその先に壊れることが見えているから。

一体全体、私はどう生きていけばいいのだろう。いつも考えている。

そしてその明確な答えは出ないまま、ダラダラと日常の延長を続けている。

だからいっその事、今の生活を全て辞めて、畑を耕して暮らしたい。シータちゃんみたいな暮らしがしたいと本気で思ってしまうのだ。そんなに都合よくはいかないのは知っていても・・・いつか海外移住したい。

その為には、一刻も早く基地問題に係る植民地主義を解決したい。

って結局そこかよって単純な自分がいる。

無視したい、忘れたい。でも忘れたくない。その狭間でいつも揺れている。


悪い時代だ、はコロナだけなのか?

うちの教会の年に一度の合同礼拝がリモートで行なわれた。

代表牧師の挨拶で、悪い時代だからです、のフレーズが使われた。

悪い時代とはどのような事か分からなかったが、コロナのことだったのか、と思ったと。

しかし、今の政治状況を見ていて、何も感じないとしたら、あまりにも鈍感ではないだろうか?

と感じてしまった。(まあアメリカ大統領選のようなことがあると迂闊に政治的な事は言えない気持ちも分からないでもないのだけれど・・・)

そもそもコロナの前からこの国は、この世界は悪い時代に入っていると言えないだろうか?

アメリカ、中国、ロシア、北朝鮮・・・そして日本・・・正直、この時代によくもこれだけ酷いリーダーが上についているものだと思わざるを得ない(アメリカは未だ混乱が続くもののようやく混乱に一応の終止符が打たれそうだが・・・それにしてもドナルド・トランプ氏があそこまでみっともない人物だとは思わなかった・・・。腐ってもクリスチャンを公言しているのだから尚更・・・毎日驚愕している・・・心の底から残念でならない・・・)

一体何をやっているんだろうな、人類、と。

その一方でこの危機において素晴らしいリーダーもいる。

ドイツのメルケル首相みたいな人。

そしてリーダーだけでなく、どんな立場にいても、正しく自分のやるべき事を理解して動いている大勢の市井の人達。

これこそが希望だと思う。そしてこのような危機には、正しく立ち向かえる代表者を選ぶ事は大事だと改めて感じている。

それにしても、コロナウィルスは人間の様々なものを炙り出してくれた。

結局の所、コロナウィルスが悪いというよりも、コロナによって人間の本質や今まで溜まっていた歪みが明確に可視化されただけのように思う。

先送りにしていた問題を今やれ、とつきつけられているような感じがする・・・

コロナウィルスの存在は、何を私達に迫っているのか。それを正しく見極め変化していく必要があるのだと感じる。逆に、正しく見極められなければ、より混沌とした世界になってしまうだろう。

危機に対してリーダー達がどのような言動を取るのか、という可視化もされた。

そして、自分がいかにちっぽけな人間かという事も。。。

他山の石としつつ、本当の希望を持って生きていける社会を作りたいと願う。

2020年10月4日日曜日

”パンケーキおじさん”の素顔と本質

安倍内閣が退陣し、菅内閣になって半月が経った。

安倍元首相は、自身の健康上の理由により再度の退陣をする事となった。

当初は当然の事ながら、療養にしばらく専念するものと思われていたが、僅か1ヶ月弱で”再始動”し始めたようだ。

難病という割には、診断書は公表されていない。薬が効いているというが、薬が利く事自体は良い事とはいえ、難病が重症化して退陣したというのに、難病がそんなに都合よく簡単にコントロールできるようになるものだろうか。

また、元気になったのなら数々の疑惑についての説明責任を、改めてきちんと果たしてもらいたいが、そのような考えは今の所一切感じられない。改めてこの「責任の取り方」というものに疑問を感じざるを得ない。逃げ切りで済ませる政治家がこの国にはとても多い。これでいいのだろうか。

さて、安倍内閣に代わって、安倍さんの大嫌いだった石破さんを姑息な手段で排除できる方法を使ったりしながら菅内閣が誕生しました。(「かんないかく」ではありません)

パンケーキおじさんだとかで持ち上げる市民もメディアも多いようですが、半月も経たないうちに、結構なお手前を披露してくれましたね。

下記は、菅内閣が行なった日本学術会議の任命拒否問題を受けて、日本学術会議の会員の方が書いた記事ですが、現内閣の本質に踏み込まれていて、なるほどなーと思いました。

<日本学術会議のこと>

https://chez-nous.typepad.jp/tanukinohirune/2020/10/scj-issue.html?fbclid=IwAR3mmHJopnRiZWwM5k4DN_jDerPuGI4N6YETkeMjIChSEUHFV6gIbE6lalI

改めて、彼の本当の素顔と本質を私たちは見極めていかないとまずいのではないでしょうか。

パンケーキ好きに悪い人がいないとでも?ご冗談を。

パンケーキになど騙されませんよ、菅総理。

2020年8月29日土曜日

あのお方の辞任会見に思うこと

昨日夕方、安倍首相の辞任の発表が行なわれた。

ここ1週間ほどの動きでもしやという話もあったが、これまでの経緯を見てきて、そうそう簡単に辞めることはないだろうという認識でいたのだが、仕事が終わってからスマホのニュースに目をやると辞任会見、とあった。

そうか、やめるんだ、というだけで、特別何も感情は沸かなかった。

私の人生において、やるべき事は何も変わらないからだ。
総理大臣が誰であれ、自分のやるべき事を、淡々とやる事をやるだけだ。

ここしばらく考えてきたことだが、改めてそう思った。

彼について様々な問題意識を持っていた私ではあるが、そのような感情であった。

体調不良は事実なのだろうし、それはお大事になさって下さい、としか言えない。

彼のやって来たことの評価と今後の事を、改めてじっくり考える機会にはなるのかもしれない。

今はゆっくり休養して頂くことが先決だと思うが、体調が落ち着いたら、任期中にあった様々な問題について、取るべき責任があるのならば、しっかりと責任を取って頂きたいと一有権者として思っている。

ただ、LINEスタンプで「安倍さんおつかれ様スタンプ」の特集がまるで図ったかのように配信された事や、ニュースがそれ一色となり、彼の起こして来た様々な問題点を指摘する声を封殺していくかのような空気、まるで労うのが当たり前であり、それをしない事は非国民とまでいうような人が現れた事については、心底不気味に感じられた。

勿論、体調が芳しくない中で頑張ってきたことを否定するつもりもなく、それはそれで「おつかれ様でした」という事ではあるのだけれど、それをして当たり前という雰囲気を意図的に作っていくこの流れには違和感を持たざるを得ない。

彼のことをどう評価するかは人それぞれ自由であり、人柄の評価やどれだけ頑張ってきたか、が重要なのではなくて、それらの中身こそが重要で、有権者に選ばれた者の立場とは、そういうものだろう。

日本人は判官贔屓だといわれる。私自身そのような所もあるが、加えて多数派の人が自民贔屓であり、保守思想贔屓だと思っている。

今の日本人は結構、流れてくる情報を少しかじっただけでイメージで物事を捉える人が多いのではないだろうか。。そして、結局、多くの人が自民贔屓だと感じる。それに気付いていない人も多そうだが。コロナ禍の状況でよりそれは加速しているように感じる。

安倍さんの人柄は多くの人に受け入れられていたのだろうし、それを否定するつもりもないが、評価していない事を評価していない、という事もまた否定されるべきではない。

何も日本に限った事ではないが・・・

そして、野党や安倍首相を支持しない、いわゆるリベラル陣営に対するいつも批判ばかり、というレッテル貼りも酷いものだ。野党が失言してはその度に野党をこき下ろし、リベラルの奴らはこれだからくそだとか、さも分かったかのように誇らしげにこき下ろす雰囲気も大嫌いだ。

確かに、リベラル陣営にはがっかりする事も失望する事もあるが、全ての人がそうではなく、目立つ人を叩いて全体を分かったような気になっているのはいかがなものだろうか?
表に出てこなくとも誠実な人は沢山いるのに。。。と、それこそ唇をかみ締めるような思いだ。

そういう状況に悲観的になる、というのがここしばらく続くのだろうな。

そんな事を思った週末だった。

ここ1年位、政治に絡むような事に関わるのは正直うんざりしているので
自分の夢とか好きな事だけやって暮らしたい気持ちも山々だけれど。

少し時間を取って、民主主義ってなんだってことや政治ってなんだ、って事を改めて考えてみようと思っている。


2020年8月23日日曜日

頼れるのは結局身内だけか?

この所、最近感じる事だが、教会で、神の家族とか、教会の共同体を大事に、とか常日頃から言っている割には実際頼れる事が殆どない、という件について。

何だかんだ、頼れるのは身内だけだなと実感している。

というか、実際頼ろうとしても、体調悪いとか、忙しいとか、人をこき使うなとかいう横槍?を入れてくる人がいて、結局頼れない、という矛盾。

まあ、こちらも殆ど何も出来ていない訳で、それはお互い様なのかもしれないが、タダ働きをさせている訳ではなく、御礼も毎回する訳で、頼む方もそれなりに気は使っているのだけどな。。

結局世の中、金で解決、そうでなきゃ、身内って事かなと思う。

収入は確かに最低ライン生活できる位はあるし、今の仕事場には恵まれているけど、仕事場に恵まれているからこそ何とかなっているレベルなんであって、全然余裕綽々なんかじゃないんだけどね。。

しかし、頼れない結果、身内に身を削らせるのを見てて(まあそうなる事を分かってないのだろうが)、何とも思わないんだからなあ…

やれやれ。

まあ、基本は家族で助け合え、って事なんだろね。それじゃあ、他の宗教や世間一般と対して変わらない気もするよ。祈ってくれるのは有難いが、はっきり言ってそれだけですか?という感じはしてしまうよね。実際。

で実際、牧師夫妻も親の協力あってこそやっていっているのを見ると、”共同体”の意味って何なんだろうなあ、と考えてしまう。

まあ、これは日本人ならではの、遠慮して人にものを頼めない性質、あるいは自分の問題は原則自分でやる、という責任感?というのか義務感からきている側面もある気がするけれど。他の国のクリスチャンはまた違う形態なんだろうか。

人生の意味が労苦に対する忍耐にあるのだというのなら、まあ、そういうもんなんですかねえ、という他ないが。実際、引越しも好きでした訳じゃないのにね。

でも結局、そういう人達のいる場所に心のより所を求めている訳だから、なんだかDVの構造みたいに思えなくもないな、と思う、今日この頃。