2024年8月14日水曜日

新しい生活と、少しずつの、、、変化

ご無沙汰しておりました。
昨年結婚して、少しだけ以前と変わった生活になり。 変わったことよりも変われていないことの方が多いけれども、 本当に、少しずつ、少しずつだけど変われていることもあるようです。

 こうして誰かに手紙を書くように文章を書く方が性に合っていることも、 既にずいぶん前に気づいていたのに、今更、ああ、そうだった、と改めて実感していて。 
今後は、このお手紙方式で行くことが増えるかもしれません。

そういえば、とある作家の人が姉妹で送りあっていた公開書簡も、割に好きだったことを思い出します。 

そして、今までずっとできずにきたけれど、いつか向き合わなければいけないだろう・・・ 考え方や価値観の違う人との付き合いについて、今日は少し書いてみたいと思います。 

 赤の他人ならまだ許容できても、問題なのは身近な人や友人・知人にそういう人がいること。 これは、個人的にかなりキツイです。言葉に出すのさえも。そして心がズキズキと痛みます。

 だから基本的に他人に話すこともできずここで書くこともできず、長年自分の心の中にしまってきました。 でもパートナーと再会して色々衝突もしながら色んな話をする中で、カタツムリのような歩みで、ようやく書ける所まできたのかなと思います。

 当方は、基本的なスタンスとしては、持続可能な社会作りに関心があり、 核兵器は勿論のこと、軍隊を持つことに懐疑的で、原発もなくなってほしいと思っている立場。
 そして資本主義も色々問題があると感じていて、そうではないオルタナティブな経済のあり方を求めている側面もあるので まあ、一般的な「普通」の日本人からしたら、絵に描いたような日本版リベラルという所か。

  だけど実際は普通に会社員として働いているし、ここ10年位は色々な人の意見とかも聞いてきて、 いわゆるリベラル派の一部が起こしている問題も色々目にする中で、今は社会活動からは基本距離を置いているしほぼ何もしていない。

 結婚してそんな時間も取りづらくなった、あとはパートナーのスタンスが自分と違う事で喧々諤々な話をする中で(パートナーは消耗するようだが) 自分の考えが正しいとも限らないこともあるのかも、とも思うようになったこともある。

 よくも悪くも、多面的な意見を聞くことで、明確な答えを出さないようになった、 そして行動しなくなった、というのが今の状況である。 

 だが、ベースの考えが変わった訳ではないし、 人と接する時は過去の傷だったり、割り切れないものを色々想起することが多々ある。 

 例えばアメリカ人と結婚して日本に宣教師一家として派遣されてきていて、 うちの教会にもしばらく滞在していたファミリーの奥さん。 以前は比較的仲が良くて、色々な相談に乗ってもらったり、お茶したりする位の仲で色々気にかけて頂いていた。 社会問題に私が関心がある事にも理解を示して下さるような方だった。
拠点を移してからも連絡を取り合い、ビデオ通話や向こうの交流会に顔を出したりもした。

 だけど彼らは地元の米軍基地に勤めているアメリカ人とも交流を深めていて、それを国際交流の一環としても活用しているようだった。 それを知った私は現場で働いている人たちの考えが知りたくて、行っていたところもあった。 だが当人たちは基本英語しか話せなく、個人的に話をする機会があった際も、沖縄の基地に関する意見を聞く事はできなかった。

ある時、メールで奥さんの方に沖縄の基地問題についてどう思うか考えをぶつけてみた所、強烈に反論された。彼女にしてはすごく珍しいことだった。 彼女からしたらそのような政治的な意味合いで米軍従事者に近づいてほしくなかったらしい。 また彼女はこうも言った。
軍事の事は神さまの領域だ、私たちが入り込んで何かする領域ではない、と。

それと、彼らが抱えている精神的なストレスは相当なもので、彼らをサポートしているメンターのクリスチャンから 度々話を聞いているらしく、そういう現状も知っているのか、とも言われた。

 だが、私からすれば、長年沖縄の人達がおかれている立場の方が余程酷く重いものと感じているので、当時かなりの憤りを覚えたが、すぐに反論はできなかった。
 残念ながら、あの時のメールのやり取りは中々に貴重だったのに、当時のメールの記録はすべて消えてしまっていて読み返すことはできない。

 それから何年か経って教会の集まりで再会した時、涙ながらに彼女から謝られた。 
ただ、それは私に対してではなく、沖縄の人に対して謝ってほしいと思ったし、 私も私で、配慮が足らないことをして悪いことをしたな、、、とも思いつつ、あれが彼女の本音なんだろうな、とも思った。 

そしてその謝罪の場では関係性が修復できたかにも見えたが、あの事件以来、未だに彼女から私に個別に連絡が来ることはない。

 きっと「ヨソモノ」でしかない私はお呼びではないという事なのだろう。 
自衛隊員との触れ合い事業みたいのに抵抗感があるのと同じく、 米軍従事者の人達と日本人との交流の機会を提供することについて、個人的には疑問を持ち続けてはいる。

 もう1つはデンマークに一緒に行ってお世話になった子が、自衛隊員と結婚したこと。 
これは個人的にかなりショックだった。 今日本が憲法9条の理念など綺麗さっぱり捨てて、軍備増強に向かい続けている中、 その一端を担っている立場の人と結婚するのが信じられなかった。 

しかも多少なりとも思想や考え方が近いと感じていただけに、結婚報告があった時も お祝いの言葉もかけられず、いいねも出来なかった。
付き合っていると聞いた時も、何も言葉を発することができなかった位なのだ。
勿論、自衛隊員も自国の平和を守る為にいるのであり、一人一人は真面目に取り組んでいる人が沢山いるのも理解しているつもりだが、、、軍隊は本当に難しい職業だと思う。
彼女の幸せは私も願っているし、知り合い程度で何かを口出しする立場にないので、これ以上どうすることもできない。かといって素直に祝福する気持ちにはなれなかった、というのが正直な所で今もそのままだ。

 そして、私が学生時代お世話になったホストファミリー。 ずっと、元気にしているかなあ、と心の片隅で思い出しながらも、帰国後すぐに連絡せず3か月後にようやく写真と手紙を送るが 反応がなく、嫌われたと思ってそのままになっていた、ホストファミリー。 

アメリカ人の友人からの後押しもあり何十年かぶりにメールを送ってみたものの、宛先不明で戻ってきて、でも友人に探してもらって 消息を知ることができた。 ようやくFacebookでそのアカウントにたどり着くことができたけれど、 友達になっている人の中に明らかなイスラエル支持者がいてショックを受ける。 そんな考えの人と友人の人達に連絡を取ることがためらわれた。 ずっと恐れていたことは彼らがトランプ支持者だったらどうしよう、という事だったが、それを超えてきた気がして。

だが、必ずしもそのホストファミリー自身がイスラエルを支持しているという保証はないし それはそれ、これはこれ、と割り切って、連絡すれば良い、と同じクリスチャンの母は言ってくれた。 が、やはり怖い、というのが正直なところだ。

今の私の人生の課題は、不器用さといかに付き合うかという事と、
この人との向き合い方の所にあることは他ならない、大事な課題だ。

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